仕事で失敗して死にたい…。失敗するたび、心から自分が嫌になる。
「なんてダメ人間なのか」って打ちのめされて、次にやることに集中できなくてまた失敗する。何日もモンモンと落ち込んで、立ち直れない。
こんにちは、れとです。気づけば40年以上生きてます。
私は、落ちこみやすいです。失敗しては数日立ちなおれず、失敗を恐れつつ次のアクションにのぞみ、集中できないので失敗を繰りかえしました。失敗のたびに周りの人にも見えるほど落ちこみ、迷惑な奴になる始末。
数日間、落ち込んでいる間は「あの時ああしてれば…」「なんて私はバカなんだろう」とクヨクヨと悩む。そして自分自身を精神的に追いつめます。絶望です。頭痛で頭を抱え、目をぎゅっとつぶったりする肉体的な症状も出ます。
「ぜんぜん悩んでない人は、失敗してもあっけらかんとしてるのに、この違いは何?」と思いました。
数々の失敗と耐えられない苦しさをへて「失敗のとらえ方」について悩み、さまざまな本やネット上の情報を読みました。
結果、失敗のとらえ方が少し変わりました。今は「失敗」すればするほど、自分の行動を失敗しない行動に近づけているのだと思えます。
失敗は、個人が正しい選択をする過程で避けられない道なんですね。
私みたいに「失敗して死にたくなる」人って、たくさんいると思います。あの気持ちは本当に辛い。しかも自分を追いつめるので、自分を滅ぼしかねない。
なので、失敗したときに少し気持ちが楽になるように、「失敗をどうとらえるべきか」の考え方を深堀りします。何度も失敗した経験から学んだことです。
ものの見方、とらえ方を変えた結果、私自身としては、失敗に対する考え方が変わりました。以前ほど失敗を恐れないように感じます。
この記事を読めば、「失敗して死にたくなる気持ちを緩和できる!」といい切りたいのですが、どうでしょう、わかりません。ですが、こんな経験や考え方をする同じような人がいるということを知ることで、誰かの心が少しでも軽くなれば幸いです。
では、さっそく、「失敗して死にたくなるときの症状」から書いていきます。
失敗して死にたくなるときのよくある症状
失敗して死にたくなるときのよくある症状は、以下のようなものですね。
とりあえず、心が辛い。脳が「失敗した」情報で満たされて、ほかのことが考えられません。そして自分で自分の失敗を責め、精神的に追いつめます。
「考えなければいい」ですむなら悩んでない!と思う
失敗でクヨクヨしていると、ほかの人に「気にしなければいいよ」なんて言われます。ときにそれは、心からの「優しさ」の言葉がけですよね。
ですが、心がダークにひねくれている失敗者としては、「『考えなければいい』って言って考えずにすむなら、とっくにそうしてるよ。」と思ったりします…。
「気にしないこと」が不可能なので悩むんですよね。まるで鍵がかかってるみたいに「敗北心」から抜けられないのが、失敗したときの気持ちです。
失敗したときに死にたくなるのはなぜなのか⇒2つの理由
失敗したときに死にたくなる理由は、2つです。
成長中の自分を認めてないから
失敗したときに死にたくなる⇒「自分はできるはずなのに、失敗したのを許せない」と思っているから。自分に対する過信が原因です。
あなたの脳は、「失敗した自分」の能力不足、存在を否定したいんですね。
周りの評価が怖いから
そして、失敗を異常に恐れる人の理由は、下のとおりのはず。
失敗した自分が周りの人間にどう思われるか、評価を気にしてるから。
失敗したら「人から隠れたい」とか「自分の存在を消したくなる」などの症状は、他人の評価を気にして生きているから生じるものです。
というわけで、解決策はこの2つ
「自分を過信していること」と「他人の評価を気にしている」のが原因なので、その考え方をやめれば、考え方は変わります。
1つずつ考え方を見ていきます。
自分を過信するのをやめる
自分を過信するのをやめます。あなたは毎日成長中で、知らないことがたくさんあります。ほかの人が知っていることでも、まだあなたが知らないことは絶対にあります。
失敗したことについては、あなたはまだザコでレベル3です。「あと何度か失敗したら少しうまくできるかも」くらいの心構えをします。
とはいえ、「失敗できないプロジェクト」とかだと本当に辛いですよね…。まじで自分を土に埋めたくなります。ですが、残念ながら「失敗してみないとわからない」ことは世の中にゴロゴロしてます。物事が成功するかどうかは一種の賭けでもありますね。
世の中の超天才、または過去に超努力した人以外、皆失敗を繰りかえしてます。経験ナシで最初からなんでもできる人は世の中いません。だから、過信をやめてできない自分を認めて受け入れてあげましょう。
他人の評価を気にするのをやめる
「他人からどう思われてもOK」と考えると世界観が変わります。
どういうことかというと、普通は、だれでも他人の評価を気にして生きてます。成績も気になるし、人に好かれるかも気になる。人には嫌われたくないと考えるのが普通です。
でも評価を気にして行動すれば、周囲に好かれたいので、行動が周りの人間の期待にあわせ振り回されます。そうすると、失敗したときも「周りを失望させた」と感じて落ちこみます。
他人の評価を気にして生きていると、生涯ずっと、周りの期待に沿って行動しなくてはならなくなります。それって、他人の視点軸にあわせて、あなたの感情がアップダウンする人生になるわけです。
一方で「他人の評価を気にしない」とどうなるか。
行動指針は「自分自身を成長させて、自分を幸せにすること」が軸になります。だから失敗も自分を成功に近づけるためのステップの1つになります。そして「次々に挑戦を続けるのみ」と考えられるようになります。
どう生きるか、人生の指針すらも変わりますよね。この考え方はアドラー心理学に基づいて書かれた「嫌われる勇気」という本に詳しいです。この本には人生を変えられた気がします。威力がすごいです。
「他人が、あなたをどう評価するのか」はコントロールできません。他人の感情は、他人の問題です。
他人の目を気にせず、自分が生きたい道を突き進むほうが、人に振り回されない筋の通った軸のある人生を歩めます。
「『他人の評価を気にしない』ことができない」方は、嫌われる勇気の一読をおすすめします。
「失敗しまくる」とは、内なる自分のレベルあげの作業
そもそも「失敗はダメなの?」という話です。ふつうは失敗はダメですよね。とくに投資が必要なプロジェクトなんかの失敗はしたくありません。ですが、失敗は不可抗力なときもあります。
そして、やはり失敗してはじめて、正しい解決策が見つかることはよくあります。
なので、
失敗が不可抗力なときは、自分のレベルあげのプロセス
と考えます。
長く生きていれば、とんでもない失敗の1、2回みんなしてますよね。言わないだけで。そして「あの失敗の経験があったから、今こうなった」ということが後ほど起こったりもします。
「万事塞翁が馬」ということわざもありますね。もしかしたら失敗がいいことに繋がることもありえます。
人間万事塞翁が馬
読み:にんげんばんじさいおうがうま
意味:人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
故事ことわざ辞典
あの時は「とんでもない失敗をやらかした…」と思ったことが、あとでよい結末になることも本当にあります。
生きてれば、本当に失敗だったことを起点として、成功が訪れることもあります。
失敗を恐れて挑戦をやめれば、あなたの成長が止まります。やっぱり自分で挑戦して失敗して学んだことこそが最強の経験です。
失敗を乗り越えても、すぐの成長は期待しない
失敗した後、また失敗する涙
自分が成長してないのを感じるときが、もっと辛い!!
失敗した後、失敗を繰り返すこともあります。
基本的には、「1度学んだら、2度と同じ間違いはしない」ようにはします。ですが、人間です。失敗を繰り返さないように覚えたことを、どうしても行動に適用できないときもあります。
でも、同じ件でなくとも、そのあとの人生のどこかで、失敗の経験が役にたつときがきます。
なので、自分を責めることなく、次の一手に目を向ければOKです。
1年後などに当時の記憶を振りかえって、「自分の失敗の経験が自分の行動に活かされていた」と、ふと気づくときもあります。長期視点で自分の成長を見まもりましょう。
情報発信のススメ|失敗はネタになる
情報発信をしていると、失敗話は幸せになった話よりもネタになるなとよく思います。
ドラマチックな話は、人の興味をひくんですよね。そして、人は「他人が不幸になった話」が好きです笑。
他人の失敗話を知り、学べることもおおいにありますよね。なので、経験した失敗がドラマチックだと「いつかこのことを書けるな」と考えたりします。経験してなければ辛い気持ちが書けないですから。
「失敗話」が人生話のネタになると、「あんなこともあったなぁ」と自分の失敗話を客観的にみられるようになりもします。
まとめ:「自分自身への期待値を下げ、周りにはどう思われてもいいや」と思う
結論です:
とりあえず、失敗が辛くて死にたくなるほどになる傾向にある方は、1度以下の考え方を真剣に取り入れるのをおすすめします。
とはいえ、会社勤めで評価を気にしなくてはならない方もいるかと思います。
私自身もそうでした。当時の会社での日々はこんな感じ。
結果、壮大にからだを壊しました。しかし、会社は少しも気にしてくれませんでした。
この私の勤務形態は、他人の期待にそって私自身が決めた行動です。そして「会社が気にしてくれない」は、他人に対する私の勝手な期待です。でも、他人の行動は、自分が期待するようにコントロールするのは不可です。
からだを壊した私は、からだを優先することに決めました。そして「もう周りの評価を気にしない」に脳を切りかえました。
すると不思議と周りの人は自分ほど働いてないことに気づきました。自分の行動を決めているのは自分自身だと実感した次第です。
考え方を少し変えると、見える世界が変わります。同じ職場でも働き方がまったく変わることもありえます。
自分の器・キャパシティーは、多く見積もりすぎると、期待はずれになったときに苦しみます。「ありのままの自分の実力とレベル」を認め、「自分しかできない」などと過剰に評価しないようにするのも重要です。
ありのままの自分を認め、周りの人に気を遣いすぎないで生きてみる視点に1度切り替えてみるのもありかもしれませんよ。
ちなみに、「人生山あり谷あり」は本当ですよね。生きてると、かならず「辛さが続く長い時期」があります。ですが、いきなり霧が晴れたように「幸せが続く瞬間」もやってきます。
生きてれば冒険は続きます。そして楽しいときはいつか来ます。
つくづく、長く続く辛さは、次の楽しい瞬間を感じさせてくれた環境や、人のありがたみを味わうためのスパイスになるなと感じています。
幸せな瞬間は滅多にないからこそ、起こったときに「幸せな奇跡」への感謝の気持ちが生まれます。
あまりにも精神的に耐えられなくなったら、空が広く見える場所で寝っ転がってみてください。あなたが今していること、存在している場所だけが、あなたの人生のすべてじゃありません。
これから続く未来に、ほかのことに挑戦することも可能です。生きる場所を変えることは、自分でできます。
長くなりました。今日はこれで終わり。お読みいただき、ありがとうございました。